前提:植民地支配とアフリカ分割
穴埋め 22語
前提:植民地支配とアフリカ分割
第二次世界大戦前の独立国
第二次世界大戦前、アフリカで独立を保っていた国は4カ国のみ。
| 国名 | 備考 |
|---|---|
| エチオピア | 1896年アドワの戦いでイタリアを撃退。ただし1936年イタリアに一時併合 |
| リベリア | アメリカの解放奴隷が建国。アメリカの援助で独立を維持 |
| エジプト | 1922年独立、1936年エジプト王国として正式独立 |
| 南アフリカ連邦 | 1910年イギリスの自治領として独立 |
アフリカ分割(19世紀後半)
契機:ベルリン会議
1884〜85年、ビスマルクが召集したベルリン会議(コンゴ会議)で列強によるアフリカ分割のルールが確定。
「先占の原則」:実際に占領・支配した土地に権利が認められる → 列強による分割競争が加速
主な列強と戦略
| 国 | 戦略・主な植民地 |
|---|---|
| イギリス | 縦断政策(カイロ〜ケープタウン)。エジプト・スーダン・ナイジェリア・南アフリカなど |
| フランス | 横断政策(大西洋〜紅海)。西アフリカ・赤道アフリカなど広大な領域 |
| ベルギー | ベルギー領コンゴ(現コンゴ民主共和国)。豊富な地下資源が目当て |
| ポルトガル | アンゴラ・モザンビーク・ギニアビサウなど。最後まで独立を拒否した宗主国 |
| ドイツ | タンガニーカ(現タンザニア)・カメルーンなど。第一次大戦後に失う |
| イタリア | リビア・エリトリア・イタリア領ソマリア |
人工的国境線の問題
列強はアフリカを緯線・経線など地図上の直線で分割 → 民族・言語・宗教の分布を無視した人工的国境線が生まれた。
人工的国境線
↓
同一民族が複数国に分断
↓
異民族・異宗教が同一国に混在
↓
独立後の内戦・紛争の構造的原因
分割統治(Divide and Rule)
植民地支配の基本戦略。民族・宗教を意図的に対立させ、植民地政府が「仲裁者」として支配を維持する。
例:ルワンダでベルギーがツチ族を優遇しフツ族を劣位に置いた → 独立後1994年のルワンダ虐殺に繋がる
試験頻出:「アフリカで紛争が多いのはなぜか」→ 人工的国境・分割統治・新植民地主義の3点がセット回答の核心。
前提:植民地支配とアフリカ分割
前提:植民地支配とアフリカ分割
第二次世界大戦前の独立国
第二次世界大戦前、アフリカで独立を保っていた国は4カ国のみ。
| 国名 | 備考 |
|---|---|
| エチオピア | 1896年アドワの戦いでイタリアを撃退。ただし1936年イタリアに一時併合 |
| リベリア | アメリカの解放奴隷が建国。アメリカの援助で独立を維持 |
| エジプト | 1922年独立、1936年エジプト王国として正式独立 |
| 南アフリカ連邦 | 1910年イギリスの自治領として独立 |
アフリカ分割(19世紀後半)
契機:ベルリン会議
1884〜85年、ビスマルクが召集したベルリン会議(コンゴ会議)で列強によるアフリカ分割のルールが確定。
「先占の原則」:実際に占領・支配した土地に権利が認められる → 列強による分割競争が加速
主な列強と戦略
| 国 | 戦略・主な植民地 |
|---|---|
| イギリス | 縦断政策(カイロ〜ケープタウン)。エジプト・スーダン・ナイジェリア・南アフリカなど |
| フランス | 横断政策(大西洋〜紅海)。西アフリカ・赤道アフリカなど広大な領域 |
| ベルギー | ベルギー領コンゴ(現コンゴ民主共和国)。豊富な地下資源が目当て |
| ポルトガル | アンゴラ・モザンビーク・ギニアビサウなど。最後まで独立を拒否した宗主国 |
| ドイツ | タンガニーカ(現タンザニア)・カメルーンなど。第一次大戦後に失う |
| イタリア | リビア・エリトリア・イタリア領ソマリア |
人工的国境線の問題
列強はアフリカを緯線・経線など地図上の直線で分割 → 民族・言語・宗教の分布を無視した人工的国境線が生まれた。
人工的国境線
↓
同一民族が複数国に分断
↓
異民族・異宗教が同一国に混在
↓
独立後の内戦・紛争の構造的原因
分割統治(Divide and Rule)
植民地支配の基本戦略。民族・宗教を意図的に対立させ、植民地政府が「仲裁者」として支配を維持する。
例:ルワンダでベルギーがツチ族を優遇しフツ族を劣位に置いた → 独立後1994年のルワンダ虐殺に繋がる
試験頻出:「アフリカで紛争が多いのはなぜか」→ 人工的国境・分割統治・新植民地主義の3点がセット回答の核心。
北アフリカ(アラブアフリカ)の独立
穴埋め 17語
北アフリカ(アラブアフリカ)の独立
地域区分
アフリカは大きく2つの地域に分けて理解する。
| 地域 | 別称 | 特徴 |
|---|---|---|
| サハラ砂漠以北 | アラブアフリカ | アラブ人・イスラーム文化圏 |
| サハラ砂漠以南 | ブラックアフリカ | 黒人アフリカ。独立はやや遅れる |
独立の流れ(1950年代)
リビア(1951年)
- 旧イタリア植民地。第二次大戦後イギリス・フランスの共同統治 →リビア王国として独立
- アフリカ戦後最初の独立国
エジプト(1952年革命)
- 第一次中東戦争敗北への不満 → ナセルらによるエジプト革命(1952年)
- エジプト王国が打倒され、エジプト共和国が成立
- 1956年:ナセルがスエズ運河の国有化を宣言 → 第二次中東戦争(スエズ戦争)
スーダン(1956年)
- エジプトとイギリスの共同管理下にあった → エジプト革命の影響を受けて独立
モロッコ・チュニジア(1956年)
- フランスから独立。バンドン会議(1955年)の風を受けて独立運動が加速
アルジェリア戦争(1954〜1962年)
アフリカ独立史で最も激しい武力闘争の一つ。
背景
- 1830年からフランスが植民地支配。石油資源があり、フランスは独立を絶対に認めなかった
- フランスからの移住者(コロン)が多数定着しており、利権が絡んでいた
経緯
1954年 民族解放戦線(FLN)結成
↓
フランスに対し武力闘争開始
↓
フランス軍が泥沼の消耗戦に
↓
1958年 ドゴールが第五共和制を樹立
↓
植民地政策の転換へ
↓
1962年 エヴィアン協定でアルジェリア独立承認
意義
- 武力闘争によって独立を勝ち取った代表例
- ドゴールの決断がその後のフランス領アフリカの独立を一気に加速させた
バンドン会議(1955年)
- インドネシアのバンドンで開催されたアジア・アフリカ会議
- 第三勢力(非同盟・反植民地主義)としての団結を宣言
- アフリカからの参加国はまだ少なかったが、独立運動に強い思想的追い風となった
記憶の軸:「アラブアフリカ → 1950年代に次々独立。アルジェリアのみ武力闘争が必要だった」
北アフリカ(アラブアフリカ)の独立
北アフリカ(アラブアフリカ)の独立
地域区分
アフリカは大きく2つの地域に分けて理解する。
| 地域 | 別称 | 特徴 |
|---|---|---|
| サハラ砂漠以北 | アラブアフリカ | アラブ人・イスラーム文化圏 |
| サハラ砂漠以南 | ブラックアフリカ | 黒人アフリカ。独立はやや遅れる |
独立の流れ(1950年代)
リビア(1951年)
- 旧イタリア植民地。第二次大戦後イギリス・フランスの共同統治 →リビア王国として独立
- アフリカ戦後最初の独立国
エジプト(1952年革命)
- 第一次中東戦争敗北への不満 → ナセルらによるエジプト革命(1952年)
- エジプト王国が打倒され、エジプト共和国が成立
- 1956年:ナセルがスエズ運河の国有化を宣言 → 第二次中東戦争(スエズ戦争)
スーダン(1956年)
- エジプトとイギリスの共同管理下にあった → エジプト革命の影響を受けて独立
モロッコ・チュニジア(1956年)
- フランスから独立。バンドン会議(1955年)の風を受けて独立運動が加速
アルジェリア戦争(1954〜1962年)
アフリカ独立史で最も激しい武力闘争の一つ。
背景
- 1830年からフランスが植民地支配。石油資源があり、フランスは独立を絶対に認めなかった
- フランスからの移住者(コロン)が多数定着しており、利権が絡んでいた
経緯
1954年 民族解放戦線(FLN)結成
↓
フランスに対し武力闘争開始
↓
フランス軍が泥沼の消耗戦に
↓
1958年 ドゴールが第五共和制を樹立
↓
植民地政策の転換へ
↓
1962年 エヴィアン協定でアルジェリア独立承認
意義
- 武力闘争によって独立を勝ち取った代表例
- ドゴールの決断がその後のフランス領アフリカの独立を一気に加速させた
バンドン会議(1955年)
- インドネシアのバンドンで開催されたアジア・アフリカ会議
- 第三勢力(非同盟・反植民地主義)としての団結を宣言
- アフリカからの参加国はまだ少なかったが、独立運動に強い思想的追い風となった
記憶の軸:「アラブアフリカ → 1950年代に次々独立。アルジェリアのみ武力闘争が必要だった」
ブラックアフリカの独立とアフリカの年
穴埋め 20語
ブラックアフリカの独立とアフリカの年
ガーナ独立(1957年)—— ブラックアフリカ最初
- ブラックアフリカで最初に独立した国
- 旧宗主国:イギリス(旧称ゴールドコースト)
- 初代大統領:エンクルマ(ンクルマ)
- 彼のスローガン:「20世紀はアフリカの世紀だ」
- 思想:パン・アフリカニズム(アフリカは一つ。全アフリカ人の連帯)→ 後のOAU設立の理念的基盤
ギニア(1958年)
- フランスから独立。指導者:セク・トゥーレ
- ドゴールの「自治権を与えるが連合内に留まれ」という提案を拒否 →「貧困の中の自由を選ぶ」と宣言して独立
- これがフランス領アフリカ諸国に独立への自信を与えた
アフリカの年(1960年)
1960年、17カ国が一気に独立 → この年を**「アフリカの年」**と呼ぶ。
- うち13カ国がフランス領から独立(ドゴールの植民地政策転換の結果)
- 同年12月、国連総会で**「植民地独立付与宣言」**採択
1960年独立国(主要なもの)
| 国名 | 旧宗主国 |
|---|---|
| ナイジェリア | イギリス |
| コンゴ共和国 | フランス |
| コートジボワール | フランス |
| セネガル | フランス |
| マリ | フランス |
| コンゴ民主共和国(旧ベルギー領コンゴ) | ベルギー |
| ソマリア | イタリア・イギリス |
アフリカ統一機構(OAU)設立(1963年)
- 独立国が結集し、1963年にアフリカ統一機構(OAU)設立
- エチオピア皇帝ハイレ・セラシエが初代議長。エンクルマも尽力
- 目的:各国の主権尊重・相互協力・反植民地主義
- 原則:「国境線の現状維持」 → 独立時の人工的国境線をそのまま継承することを確認
重要:OAUが「国境線の現状維持」を原則としたことで、民族をまたぐ国境問題は内部化・固定化された。これが後の民族紛争の構造的背景となる。
- 2002年にアフリカ連合(AU)へ組織改編
宗主国別の独立パターン
| 宗主国 | 特徴 |
|---|---|
| フランス | 1960年に集中して独立。文化的つながりは残る(フランコフォニー) |
| イギリス | 比較的早期から自治を認める傾向。コモンウェルス(英連邦)に加盟 |
| ベルギー | 急に独立させたため準備不足 → コンゴ動乱など深刻な混乱 |
| ポルトガル | 1974年カーネーション革命まで独立を拒否。最後まで残った宗主国 |
ブラックアフリカの独立とアフリカの年
ブラックアフリカの独立とアフリカの年
ガーナ独立(1957年)—— ブラックアフリカ最初
- ブラックアフリカで最初に独立した国
- 旧宗主国:イギリス(旧称ゴールドコースト)
- 初代大統領:エンクルマ(ンクルマ)
- 彼のスローガン:「20世紀はアフリカの世紀だ」
- 思想:パン・アフリカニズム(アフリカは一つ。全アフリカ人の連帯)→ 後のOAU設立の理念的基盤
ギニア(1958年)
- フランスから独立。指導者:セク・トゥーレ
- ドゴールの「自治権を与えるが連合内に留まれ」という提案を拒否 →「貧困の中の自由を選ぶ」と宣言して独立
- これがフランス領アフリカ諸国に独立への自信を与えた
アフリカの年(1960年)
1960年、17カ国が一気に独立 → この年を**「アフリカの年」**と呼ぶ。
- うち13カ国がフランス領から独立(ドゴールの植民地政策転換の結果)
- 同年12月、国連総会で**「植民地独立付与宣言」**採択
1960年独立国(主要なもの)
| 国名 | 旧宗主国 |
|---|---|
| ナイジェリア | イギリス |
| コンゴ共和国 | フランス |
| コートジボワール | フランス |
| セネガル | フランス |
| マリ | フランス |
| コンゴ民主共和国(旧ベルギー領コンゴ) | ベルギー |
| ソマリア | イタリア・イギリス |
アフリカ統一機構(OAU)設立(1963年)
- 独立国が結集し、1963年にアフリカ統一機構(OAU)設立
- エチオピア皇帝ハイレ・セラシエが初代議長。エンクルマも尽力
- 目的:各国の主権尊重・相互協力・反植民地主義
- 原則:「国境線の現状維持」 → 独立時の人工的国境線をそのまま継承することを確認
重要:OAUが「国境線の現状維持」を原則としたことで、民族をまたぐ国境問題は内部化・固定化された。これが後の民族紛争の構造的背景となる。
- 2002年にアフリカ連合(AU)へ組織改編
宗主国別の独立パターン
| 宗主国 | 特徴 |
|---|---|
| フランス | 1960年に集中して独立。文化的つながりは残る(フランコフォニー) |
| イギリス | 比較的早期から自治を認める傾向。コモンウェルス(英連邦)に加盟 |
| ベルギー | 急に独立させたため準備不足 → コンゴ動乱など深刻な混乱 |
| ポルトガル | 1974年カーネーション革命まで独立を拒否。最後まで残った宗主国 |
独立後の紛争と新植民地主義
穴埋め 23語
独立後の紛争と新植民地主義
コンゴ動乱(1960年)
独立後に混乱が起きた最大の事例。
経緯
1960年 ベルギー領コンゴが独立
初代首相:ルムンバ
↓
カタンガ州が分離独立を宣言
(旧宗主国ベルギーが地下資源を目的に介入・支援)
↓
ルムンバがソ連に接近
↓
冷戦の文脈でアメリカがモブツを支援
↓
軍部クーデター → ルムンバ殺害
↓
モブツが独裁権力を握る(新植民地主義の典型例)
- 国連事務総長ハマーショルドが調停に向かう途中、飛行機墜落事故で死亡(任期中に亡くなった初の事務総長)
- 国名は後にザイールと改称(1971年)→ 1997年クーデターでコンゴ民主共和国に改称
新植民地主義(Neocolonialism)
形式上は独立していても、旧宗主国や冷戦大国が内政に介入し続ける構造。
政治的独立
↓
しかし経済的・軍事的依存は継続
↓
旧宗主国が内戦勢力を支援・武器供与
↓
実質的な支配が続く
手段:
- 武器供与・資金援助による勢力操作
- 経済援助を条件にした政策介入
- 冷戦期には米ソが競うようにアフリカの代理戦争を支援
ナイジェリア内戦(ビアフラ戦争、1967〜70年)
- ナイジェリアのアフリカ最多人口の国(第13位/世界)
- 南東部のイボ族がビアフラ共和国として分離独立を宣言
- 背景:石油資源をめぐる利権争い
- OAUは「国境線の現状維持」原則から分離独立を不支持
- 結果:ビアフラ共和国は消滅。数百万人が飢餓・戦闘で死亡
ルワンダ虐殺(1994年)
- ベルギーによる分割統治:ツチ族を優遇しフツ族を劣位に置いた
- 独立後、長年の差別に対するフツ族の憎悪が蓄積
- 1994年、わずか100日間で約80万〜100万人のツチ族・穏健派フツ族が虐殺
- 植民地期に作られた「民族の優劣」という虚構が、独立後も人々を殺し続けた典型例
アパルトヘイト(南アフリカ)
- アパルトヘイト:南アフリカで実施された人種隔離政策
- 1961年、イギリスのアパルトヘイト批判を受け南アフリカ連邦がイギリス連邦を離脱 →南アフリカ共和国へ
- ANC(アフリカ民族会議)のネルソン・マンデラが反アパルトヘイト運動を指導
- 1991年デクラーク大統領がアパルトヘイト廃止
- 1994年、マンデラが南アフリカ初の黒人大統領に就任
紛争が多い理由(構造的まとめ)
植民地支配
↓
1. 人工的国境線(民族分断・混在)
↓
2. 分割統治の遺産(民族対立の固定化)
↓
急激な独立(準備不足)
↓
3. 資源争い(石油・鉱物が内戦の火種に)
↓
4. 新植民地主義(大国が内戦を利用して介入)
↓
慢性的な内戦・独裁
試験で論述するなら:「民族が対立しているから」ではなく、「植民地支配が作り出した構造」として説明すること。
独立後の紛争と新植民地主義
独立後の紛争と新植民地主義
コンゴ動乱(1960年)
独立後に混乱が起きた最大の事例。
経緯
1960年 ベルギー領コンゴが独立
初代首相:ルムンバ
↓
カタンガ州が分離独立を宣言
(旧宗主国ベルギーが地下資源を目的に介入・支援)
↓
ルムンバがソ連に接近
↓
冷戦の文脈でアメリカがモブツを支援
↓
軍部クーデター → ルムンバ殺害
↓
モブツが独裁権力を握る(新植民地主義の典型例)
- 国連事務総長ハマーショルドが調停に向かう途中、飛行機墜落事故で死亡(任期中に亡くなった初の事務総長)
- 国名は後にザイールと改称(1971年)→ 1997年クーデターでコンゴ民主共和国に改称
新植民地主義(Neocolonialism)
形式上は独立していても、旧宗主国や冷戦大国が内政に介入し続ける構造。
政治的独立
↓
しかし経済的・軍事的依存は継続
↓
旧宗主国が内戦勢力を支援・武器供与
↓
実質的な支配が続く
手段:
- 武器供与・資金援助による勢力操作
- 経済援助を条件にした政策介入
- 冷戦期には米ソが競うようにアフリカの代理戦争を支援
ナイジェリア内戦(ビアフラ戦争、1967〜70年)
- ナイジェリアのアフリカ最多人口の国(第13位/世界)
- 南東部のイボ族がビアフラ共和国として分離独立を宣言
- 背景:石油資源をめぐる利権争い
- OAUは「国境線の現状維持」原則から分離独立を不支持
- 結果:ビアフラ共和国は消滅。数百万人が飢餓・戦闘で死亡
ルワンダ虐殺(1994年)
- ベルギーによる分割統治:ツチ族を優遇しフツ族を劣位に置いた
- 独立後、長年の差別に対するフツ族の憎悪が蓄積
- 1994年、わずか100日間で約80万〜100万人のツチ族・穏健派フツ族が虐殺
- 植民地期に作られた「民族の優劣」という虚構が、独立後も人々を殺し続けた典型例
アパルトヘイト(南アフリカ)
- アパルトヘイト:南アフリカで実施された人種隔離政策
- 1961年、イギリスのアパルトヘイト批判を受け南アフリカ連邦がイギリス連邦を離脱 →南アフリカ共和国へ
- ANC(アフリカ民族会議)のネルソン・マンデラが反アパルトヘイト運動を指導
- 1991年デクラーク大統領がアパルトヘイト廃止
- 1994年、マンデラが南アフリカ初の黒人大統領に就任
紛争が多い理由(構造的まとめ)
植民地支配
↓
1. 人工的国境線(民族分断・混在)
↓
2. 分割統治の遺産(民族対立の固定化)
↓
急激な独立(準備不足)
↓
3. 資源争い(石油・鉱物が内戦の火種に)
↓
4. 新植民地主義(大国が内戦を利用して介入)
↓
慢性的な内戦・独裁
試験で論述するなら:「民族が対立しているから」ではなく、「植民地支配が作り出した構造」として説明すること。
残存植民地の独立と南北問題
穴埋め 17語
残存植民地の独立と南北問題
ポルトガル植民地の独立
サラザール独裁とポルトガルの固執
- ポルトガルではサラザールがヨーロッパ最長の独裁政権(1932〜68年)を維持
- 「アフリカはポルトガルの海外県だ」と主張し、独立を完全拒否
- 1960年代以降、各植民地で武装解放運動が激化 → 植民地戦争(消耗戦)
カーネーション革命(1974年)
- ポルトガル国内で軍の若い将校たちが蜂起 →カーネーション革命(民主化)
- 植民地からの撤退が決定
独立の連鎖(1973〜75年)
| 国名 | 独立年 | 旧宗主国 |
|---|---|---|
| ギニアビサウ | 1973年 | ポルトガル |
| モザンビーク | 1975年 | ポルトガル |
| アンゴラ | 1975年 | ポルトガル |
- 独立後もアンゴラ・モザンビークでは20年以上にわたる内戦が続いた(冷戦期の大国介入が原因)
近年の独立国
| 国名 | 独立年 | 経緯 |
|---|---|---|
| ナミビア | 1990年 | 南アフリカによる不法占拠からの独立 |
| エリトリア | 1993年 | エチオピアからの分離独立(ソ連崩壊後に実現) |
| 南スーダン | 2011年 | アフリカ54番目の独立国 |
南北問題と経済的格差
南北問題(North-South Problem)
独立後も続く先進国(北)と発展途上国(南)の経済格差の問題。
- 先進国(北):ヨーロッパ・北アメリカ・日本など北半球に集中
- 発展途上国(南):アフリカ・ラテンアメリカ・東南アジアなど南半球に集中
南南問題(South-South Problem)
さらに「南の中でのさらなる格差」が問題化。
南(発展途上国)の中でも
↓
石油産出国(産油国):ある程度の経済力
↓
石油も鉱産資源もない国:極度の貧困
↓
「南南問題」と呼ぶ
国連貿易開発会議(UNCTAD)
- 1964年設立:UNCTAD(アンクタッド)
- 南北問題・発展途上国への貿易援助を調整する国際機関
- 南の国々に有利な貿易条件の確立・先進国からの援助を推進
モノカルチャー経済の問題
植民地時代に宗主国が作り上げた経済構造の遺産。
宗主国が特定の一次産品(コーヒー・カカオ・綿花・銅など)
を大量生産させる体制を構築
↓
独立後もその産業構造が継続
↓
モノカルチャー経済(単一産品への依存)
↓
国際市場の価格変動に経済全体が左右される
↓
経済基盤が脆弱なまま
アフリカ史の流れ(年表整理)
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 1884〜85 | ベルリン会議 → アフリカ分割加速 |
| 1935〜36 | イタリアがエチオピアを併合 |
| 1951 | リビア独立(アフリカ戦後最初) |
| 1955 | バンドン会議 |
| 1957 | ガーナ独立(ブラックアフリカ最初) |
| 1960 | アフリカの年(17カ国独立)・植民地独立付与宣言 |
| 1963 | OAU設立 |
| 1967〜70 | ナイジェリア内戦(ビアフラ戦争) |
| 1974 | カーネーション革命 |
| 1975 | アンゴラ・モザンビーク独立 |
| 1991 | アパルトヘイト廃止(南アフリカ) |
| 1994 | ルワンダ虐殺 / マンデラが大統領就任 |
| 2002 | アフリカ連合(AU)発足(OAU改組) |
| 2011 | 南スーダン独立(54番目) |
世界史大論述の視点:「アフリカの独立」を問われたら、独立の経緯だけでなく「なぜ独立後も混乱が続いたか」という構造分析まで書けると高得点。
残存植民地の独立と南北問題
残存植民地の独立と南北問題
ポルトガル植民地の独立
サラザール独裁とポルトガルの固執
- ポルトガルではサラザールがヨーロッパ最長の独裁政権(1932〜68年)を維持
- 「アフリカはポルトガルの海外県だ」と主張し、独立を完全拒否
- 1960年代以降、各植民地で武装解放運動が激化 → 植民地戦争(消耗戦)
カーネーション革命(1974年)
- ポルトガル国内で軍の若い将校たちが蜂起 →カーネーション革命(民主化)
- 植民地からの撤退が決定
独立の連鎖(1973〜75年)
| 国名 | 独立年 | 旧宗主国 |
|---|---|---|
| ギニアビサウ | 1973年 | ポルトガル |
| モザンビーク | 1975年 | ポルトガル |
| アンゴラ | 1975年 | ポルトガル |
- 独立後もアンゴラ・モザンビークでは20年以上にわたる内戦が続いた(冷戦期の大国介入が原因)
近年の独立国
| 国名 | 独立年 | 経緯 |
|---|---|---|
| ナミビア | 1990年 | 南アフリカによる不法占拠からの独立 |
| エリトリア | 1993年 | エチオピアからの分離独立(ソ連崩壊後に実現) |
| 南スーダン | 2011年 | アフリカ54番目の独立国 |
南北問題と経済的格差
南北問題(North-South Problem)
独立後も続く先進国(北)と発展途上国(南)の経済格差の問題。
- 先進国(北):ヨーロッパ・北アメリカ・日本など北半球に集中
- 発展途上国(南):アフリカ・ラテンアメリカ・東南アジアなど南半球に集中
南南問題(South-South Problem)
さらに「南の中でのさらなる格差」が問題化。
南(発展途上国)の中でも
↓
石油産出国(産油国):ある程度の経済力
↓
石油も鉱産資源もない国:極度の貧困
↓
「南南問題」と呼ぶ
国連貿易開発会議(UNCTAD)
- 1964年設立:UNCTAD(アンクタッド)
- 南北問題・発展途上国への貿易援助を調整する国際機関
- 南の国々に有利な貿易条件の確立・先進国からの援助を推進
モノカルチャー経済の問題
植民地時代に宗主国が作り上げた経済構造の遺産。
宗主国が特定の一次産品(コーヒー・カカオ・綿花・銅など)
を大量生産させる体制を構築
↓
独立後もその産業構造が継続
↓
モノカルチャー経済(単一産品への依存)
↓
国際市場の価格変動に経済全体が左右される
↓
経済基盤が脆弱なまま
アフリカ史の流れ(年表整理)
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 1884〜85 | ベルリン会議 → アフリカ分割加速 |
| 1935〜36 | イタリアがエチオピアを併合 |
| 1951 | リビア独立(アフリカ戦後最初) |
| 1955 | バンドン会議 |
| 1957 | ガーナ独立(ブラックアフリカ最初) |
| 1960 | アフリカの年(17カ国独立)・植民地独立付与宣言 |
| 1963 | OAU設立 |
| 1967〜70 | ナイジェリア内戦(ビアフラ戦争) |
| 1974 | カーネーション革命 |
| 1975 | アンゴラ・モザンビーク独立 |
| 1991 | アパルトヘイト廃止(南アフリカ) |
| 1994 | ルワンダ虐殺 / マンデラが大統領就任 |
| 2002 | アフリカ連合(AU)発足(OAU改組) |
| 2011 | 南スーダン独立(54番目) |
世界史大論述の視点:「アフリカの独立」を問われたら、独立の経緯だけでなく「なぜ独立後も混乱が続いたか」という構造分析まで書けると高得点。
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